Wednesday, February 22, 2006

 

今でも感謝している。

さき          
        旅先では色んな人に世話になるのだが
    僕の旅の中でこの写真の彼ほど忘れられない存在は
 他にいない、彼は恐らくこの宿泊施設に常駐していて
  トラックのパンク修理やタイヤ交換などを生業としている青年だった。
   24時間いつ呼び出されるか分からない大変な仕事なのだが
   一日中走り回っているほどはトラックは来なかった。
 必然トラックを一日中ひたすら待っている俺の格好の話し相手になってくれた。
  話と言っても言葉が通じないので筆談となるのだが
  俺はほとんど漢字が書けない・・・・・・・
 そこで、電子辞書の登場だ!この便利機械によって大まかな意思の疎通は
 なんとかなった。
 後の頼りは、かなり以前に台湾へ行ってから必要に迫られて買った
  「旅の中国語」という本当に簡単な会話集だった。
 あるとき彼がその本を見ながら何かを書き出した。
   思うように車が捕まらない苛立ちを抑えながらベットでふて寝していた
  ぼくは彼が何をしているのか良く分からなかったが時折その本の中の振り仮名に
 ついてたずねて来た。
   数時間して、彼が僕に見せた紙切れに僕は驚かされた!
 なんと彼はその会話集をみて中国語のルビを逆算して
   「運転手さん、この車は宝秘まで行きますか?」(宝秘は次の目的地だった)
 という文章を  恐らく初めて見たであろう日本語のカタカナで表してくれていた。
   「僕がいるときは、交渉してあげられるけど、いないときはこのように
   運転手にいうんだよ」って
   感動した。
    
                                                                                Posted by Picasa

Monday, February 20, 2006

 
その三日間町外れの
  露天ビリヤード場を営む彼女達の店でひたすら車が通るのを
 待ち続けた、僕もモチロン中国語が堪能ではないのだが
  この親子も話しかけると
  「言葉がしゃべれないのです」というアクションを返してきた
  ぼくがほとんど中国語をしゃべれないのに
 なんとかこの旅をつずけてこれたのは
 この人たちのように標準語をしゃべることが出来ない
 人達がこの国には多く存在していこともあったと思う。
   まるでお金にならない僕が一日中店の片隅で車まち
 していてもいやな顔ひとつせず
  マニ車を淡々とまわしていた。

   ときどき現れるビリヤードの客はこんな秘境の片田舎なのに
    かなりハイレベルな戦いを繰り広げた
    漢民族vsチベット族になるとなぜかチベット族を
 応援してしまうのね。
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Saturday, February 18, 2006

 
ヒッチハイクした
 トラックは野菜の行商で中々進まなかった。
  業を煮やした僕は約束の半分だけお金を払って
   他の車を探すことにしたのだが、
 その後三日間一台も車が来なかった、
  途方にくれていたとき雨でもないのに虹がでていた。 Posted by Picasa

Thursday, February 16, 2006

 
  ↓の村に着く前に前日の雨の中の野宿&
    どれだけ歩けば次の村にたどり着けるか分からないので
  精神はボロボロ見かけもボロボロ
   でも笑顔を絶やさず「心の中で今日も野宿だったらたまらんな~」
 なんて考えていた。
    しかし不思議なもので
     歩いていくごとに渡る橋なんかが何気なく人間の存在を感じさせるもので
    「まー今日中には次の村にはいけそうだな」なんて根拠はないのだが
    思っていた。 Posted by Picasa

 

ぼろぼろでした

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Wednesday, February 15, 2006

 

野宿の翌日

   翌日三時間ほど歩いて次の村へたどり着いた、
     食堂が一軒あってそこで一休みした後、ヒッチハイクのために
   村のはずれで車待ち、
  隣の若者の姿で前日の荒行がわかるでしょ!
   俺はこの時、牛に付いていたダニをつぶしたくてウズウズしていた。 Posted by Picasa

Tuesday, February 14, 2006

 

ピンチだった

    まさか、秘境チベットで野宿することに
     このコンビは一番きついと言われていた雲南ルートを
    僕と同じ時期にチャレンジしていたコンビ
    たびたび同行していた、崖くずれで道がふさがってしまって車が通れなくなってしまって
     崖を裸足で越えたところでジープが客引きて いたのだが
   「絶対にぼったくっている」って事で同意して歩く事にしたのだが
   歩けど、歩けど、次の村には着かなかった
    ついには周りが薄暗くなりはじめ一人が「純さんもう歩けない・・」
    って「君達テントどころか寝袋も無いじゃないか!」
    俺はこの旅で初めて寝袋を担ぎながら旅していたのだが使ったのは
      氷河を登ったとき一度きりで
     やっぱ荷物は軽いほうがいなと思っていた矢先だった
     おまけに、この二人は荷物をほとんど持っていなかったから
    俺よりも歩くのはずいぶん楽だったはずなのに
   歩けないと言われて少し途方にくれた
   最悪なのは、雨が振り出した事だった
    辺りも暗くなり始め、あきらめて野宿する事になったのだが
  彼らは、電気さえもっておらず、俺の唯一のヘッドライトで蒔きを探して歩いたのだが
   雨はさらにひどくなり、火を起こすのもままならないほどの中で崖がオーバーハング
  になっていてとりあえず雨がしのげる場所で寝ることににした Posted by Picasa

Sunday, February 12, 2006

 

支配人

   支配人みたいなのが出てきて
      「仕方ないからロビーのソファーで寝ていきな、IDなしじゃだめなんよ」
  となり、なんとか雨露をしのげる場所が確保できた。
   このとき恐らく12時くらいだったと思うが、次の日の一番のバスまで
 あと4時間くらいしかなかった。

     今でもラッキーだった思うのは黒い服の女性スタッフのお兄さんが
     上海から遊びにきていて、ある程度英語で話せた事だった
    彼は体育大学でサッカーをやってる青年で
  南米で行われたばかりの日本の国際試合の話を教えてくれたりして
    支配人たちとの話をつけてくれたのだ。
   捨てる神あれば
   拾う神もあり。 Posted by Picasa

 

他のスタッフとも写真撮ってあげて

   面白半分に色々な人が代わる代わる出てきて Posted by Picasa

 

 だんだん打ち解けていって

       こんな態度に変わってきて。 Posted by Picasa

 

この絵は笑える

    この写真の日はラサに着く前日の絵です、
      ラサに近い場所なので、警察の検問もかなり厳しく
    今まで一番大きな町だったので捕まるとしたらここだろうなと
 思っていました。
   しかし、ここまでくればラサから来ましたと言えばラサに帰りなさいと言ってくれるだろうと
 思っていました。
   ジープに同乗した現地の男に
    ID無しで泊まれる所を紹介してもらえる手はずだったのが
    ジープを降りてお金をドライバーに払っている間にどっか消えてしまって
  途方にくれ、一度食堂でお決まりのチンジャオロースー頼んだら
   見事に激辛しし唐バージョンで今日の悪運を使い果たし
   翌日の行動をスムースにするためにバス停に一番近い宿に
 飛び込みで入り(いつもの事なのだがこの時は町に一軒もID無しで泊まれる情報を持っていなかった)
   いきなり「一晩いくらですか~?」と陽気に話しかけたのですが
 案の定IDを要求され
   一か八かで日本のパスポートを出したが拒否され途方にくれていたとき
  いいアイデアが浮かばなかったので
   「記念写真を撮ろう」と言って撮ったのが
 コレ。 Posted by Picasa

 

こんな態度

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ひっち

     ヒッチハイクっていってもよく洋画にあるような
     道路で親指立てて立ってるのとはちょっとちがうのね
    恐らくこの時期ダライラマの誕生日やらで巡礼に回る人達が
  少なからずいてその集団に紛れて一緒に乗せてもらうわけ
  モチロン有料です。
   公安(警察)に外国人だとばれるとアウトなので街中では外から目立たない様に
  真ん中にいたりしてその辺結構気を使った。
  中国人バックパッカーや、香港人もいるのでそんな感じの振りをしているのだ。
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たばこを勧めてくれたお兄さん

  
       もう地名も思い出せないのだが、未開放地区へ入ってすぐの頃
     運よく地元の人達と同じトラックへヒッチハイク出来た、その時タバコを
 進めてくれた兄さん。
     このお兄さん「??!!」ってくらいな感じの何も無い山奥で一緒にいた老人と
     降りていった。
    彼の日常は僕なんか想像も出来ないくらい厳しいものなんだろうに、
 決して安くないタバコを何本も吸え,吸え、って進めてくれてさ。 Posted by Picasa

Saturday, February 11, 2006

 

一日に40キロペース

       とにかく進まないのだ、このトラックに満載していて
    排気量は2000ccくたいのディーゼルエンジンじゃ当たり前か?
   ときどき日本製の4WDが猛スピードで追い抜いていった。
    散々非難するくせに軍の大事な仕事はメイドインジャパンだよりかよ? Posted by Picasa

 

    旅人にはそれぞれ忘れられない瞬間があると思う、
        ある意味旅とはその瞬間に出会うためにでるのかもしれない。
   この一枚はピンボケだし、ぶれていて決して良い出来ではない
   チベットの未開放逐に潜り込んで二週間ほどがたって
   めちゃくちゃあせっていた、10日ほどで抜ける予定だったので
 日本の家族に連絡が途絶える事を知らせていなかったのだ。
   そのうえやっとヒッチハイクしたトラックは野菜の行商でちっとも前にすすんでくれず
 この日も一日かかって40キロほどしか進んでいなかった。
  日が暮れかかったとき遠くの草原で一頭だけ白馬が走っていた
  まるで夢のように美しく見えた。
   きつい中国、をやっと抜けて憧れだったチベットに入ったが、公安につかまれば
 中国に返されるリスクを背負っての旅だったので精神はそうとうまいっていたと思う。
  この白馬を観た瞬間「そうだ!俺はもともと旅はきついものだと判りきっていたはずだ、
   その後褒美に、こんな瞬間があるんだ、無理をきいて旅たたせてくれたカミサンに
   こんな気分で旅していたら申し訳ない、」なんて空元気だした時の思い出。
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